占いって、信じていいんだろうか。
そう思っていた時期が、長くありました。
信じたいけど、信じていいのかわからなかった
何かに迷っているとき、誰かに話を聞いてほしいとき、占いというものが頭に浮かぶことがありました。
でも、すぐに打ち消していました。
根拠のないものに頼るのはおかしい、と思っていました。科学的じゃない、論理的じゃない。統計や根拠がないものを信じるのは、どこかおかしいことなんじゃないか。そういう考え方が、ずっとありました。
信じたいという気持ちと、信じてはいけないという気持ちが、交互に来る感じでした。
恥ずかしいという気持ちもあった
信じているかどうかとは別に、人に知られたくないという気持ちもありました。
「占い好きなの?」と聞かれたら、なんと答えるか。「信じてるの?」と言われたら。そう思うと、占いという言葉を出すこと自体が、少し躊躇われました。
占い好きというイメージが、どこか「流されやすい人」「すぐ信じる人」という印象と重なっていたのかもしれません。それが自分に向けられるのが、嫌でした。
友人と話しているとき、「最近どうしてる?」と聞かれることがありました。悩んでいる、と言いかけて、何かに頼っている、とは言えなかった。話せなかったのは、相手に心配をかけたくなかったからもあるけれど、「何かに頼っているように見られたくない」という気持ちが、どこかにあったと思います。
自分でも気づいていなかったけれど、おかしいと思われたくないという恐れが、自分の中にあったのかもしれません。
でも、同時に思っていたことがあります。
人に言えない悩みを、誰かに話したいという気持ち。これはどこに持っていけばいいのだろう、と。
占いに頼ることと、信じることは、別の話かもしれない
あるとき、ふと気がついたことがありました。
占いを「信じる」か「信じないか」という二択で考えていたけれど、それだけが占いとの関わり方ではないのかもしれない、と。
天気予報を見るとき、「絶対に当たる」と思って見る人は少ないと思います。でも、傘を持って出るかどうかの参考にする。明日の午後に予定を入れるかどうかを考える。予報を信じるかどうかというより、情報のひとつとして受け取る感覚があります。
占いも、そういうものとして使う人がいるのかもしれない、と思い始めました。
当たるか当たらないかより、今の自分の気持ちを整理したい。誰かに話を聞いてもらいたい。そういう目的で占いを使う人が、いるのかもしれない。
そう思ったとき、少し肩の力が抜けた気がしました。
占いを信じるかどうか、という問いに答えを出さなくていい。そう気づいただけで、ずいぶん楽になりました。信じなければ使えない、というルールは、自分が勝手に作っていただけだったのかもしれない、と思いました。
「信じる」よりも先に、「話したい」があった
改めて振り返ると、占いを信じるかどうかを考えていた頃に、本当に必要としていたのは、誰かに話を聞いてもらうことだったと思います。
友人に話せない内容があった。家族には言えないことがあった。自分の中だけで考えていても、堂々巡りになる。そういう状態でした。
占いが「当たるかどうか」より先に、「誰かに話せるかどうか」という問いがあったのだと思います。
占いを信じているかどうかということとは、少し別のところに、本当の目的がありました。
根拠がないからこそ、話せることもある
占いに根拠がない、という考え方は今でも間違っていないと思っています。でも、「だから意味がない」という結論には、今はたどり着かなくなりました。
医師に相談することと、友人に話すことは、目的が違います。どちらが正しいかではなく、何を求めているかによって、向かう場所が変わる。
占いも、そういうものの中のひとつなのかもしれない、と思っています。
根拠がないからこそ、言えることがある。論理ではなく、感情の部分から話を聞いてもらえる場所。そういう側面が、あるのかもしれない。
「信じる」という言葉は、全部受け入れることのように聞こえます。でも実際には、何かを参考にしながら、自分で考えて、自分で決める。その繰り返しのような気がします。占いに限らず、人の意見を聞くことも、本を読むことも、似たようなものかもしれない、と今は思っています。
説明できないけど、感じることはあった
「信じるか信じないか」で揺れていた頃から、ひとつだけ正直に思っていたことがあります。
説明できない感覚が、ときどきある、ということでした。
ゾロ目の数字を立て続けに見た日の夜、急に気になっていた人から連絡が来たことがありました。満月の前後に、気持ちが動く出来事が重なることが何度かありました。何かを決断しようとしているとき、偶然手に取った本に、ちょうど関係のあることが書いてあったりした。
偶然だと思っていました。でも、そういう経験が積み重なってくると、「すべてが偶然」とも言い切れなくなってくる感覚がありました。
宇宙や星や月が、人の気持ちや出来事と関係しているかどうか。それを証明する方法はないのだと思います。でも、何か見えないものが流れていて、それが日々の出来事と微妙にリンクしているような気がする、という感覚は、論理では打ち消せないところにありました。
占いを信じていいかどうかより先に、その感覚が先にあった気がします。
今は、信じているに近い気がしている
使い始めた頃は「参考程度に」と思っていました。
でも、経験を重ねるうちに、その距離感が変わっていきました。
話してみて、気持ちが整理された経験がある。誰かに聞いてもらえたと感じた夜がある。「そういう時期が来る」と言われた言葉が、後から本当になったことがある。
そういう積み重ねの中で、「信じていないのに使っている」という感覚は、だんだんなくなっていきました。
今は、信じているに近い気がしている、と正直に思っています。完全にとは言えないけれど、信じていない、でもない。目に見えない何かが流れていて、占いはそこにアクセスする方法のひとつなのかもしれない。そう感じる瞬間が、増えました。
おかしくなんてなかった、と今は思う
おかしいのかな、と思っていた頃のことを、たまに思い出します。
あの頃の自分は、何かに頼ること自体が怖かったのかもしれません。頼ることで、自分が弱いと認めることになる、というような感覚があったと思います。
でも今は、頼れる場所があることを、弱さとは思わなくなりました。
悩んでいるとき、誰かに話を聞いてもらいたいとき。その気持ち自体は、おかしくない。どこに持っていくかは、人それぞれでいいのだと思います。
あの頃の自分が何を求めていたのか、今ならすこしわかる気がします。誰かに話せる場所を、ただ探していたのだと思います。
誰にも言えない気持ちを、抱えていませんか。
わたしも、誰にも話せない夜を長く過ごしました。 そんなときに支えになった電話占いを、悩み別にまとめています。 よかったら、覗いてみてくださいね。